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LISTS

ハウスへと繋がった80年代初期ポスト・ディスコ・トラック10選

「I Feel Love」から一夜明けて「Strings Of Life」が誕生した訳ではないのだ

Mixmag Japan | 6 June 2018

フランキー・ナックルズがハウス・ミュージックを「ディスコの逆襲」と形容したことにより、ハウスの起源を巡って、ダーウィンの進化論に匹敵する規模の論争が巻き起こった。ハウスとディスコは、あらゆるダンスミュージックを指すためのオールマイティな言葉として活用される言葉がディスコからハウスへとモーフしていったように、切っても切れない関係にある。しっかし、ディスコからハウスへの変化はそのように起きたのではなく、「I Feel Love」から一夜明けて「Strings Of Life」が登場した訳でもない。アメリカからヨーロッパへ、そして人力から機械へと橋を架け渡した、重要な存在があるのだ。

1979年に、ディスコ商業的なピークに到達し、テレビやコマーシャル、漫画など多方面に活躍の場面を広げていった。その反動は速やかかつ激しいもので、根本的に同性愛嫌悪にして人種差別的な「ディスコ、クソ」運動によって同サウンドはメインストリームからすっかり姿を消すことになった。そうやってアングラに戻ったディスコは、いずれハウスへとつながる多種多様なジャンルへと枝分かれしていった。ブギー、イタロ、ニュー・ウェーブ、ノー・ウェーブ、パンク・ファンク、シンセ・ポップ、エレクトロ、ダブ…これらは全て当時のポスト・ディスコの一部をなしている。そして、それぞれがシンセサイザーやドラムマシンを多用することによって、互いのサウンドはしばしば融合されやすいものとなっていた。

ポスト・ディスコがハウスやテクノに与えた影響は、音楽的なものに止まらない。メジャー・レーベルがディスコを避けるようになり、音楽は、シングルを中心とした、インディペンデント・レーベルが群雄割拠する時代に突入。これによってパラダイス・ガラージのラリー・レヴァンやパワー・プラントのフランキー・ナックルズといったDJ達が絶大な力を持つようになった。かくして、ダンスミュージックのカルチャーが誕生したのである。

79年からハウスの誕生まで、ダンスミュージックは、自由で、オープンな時期を通過した。これらの集大成が次なるビッグ・ムーブメント(ハウス)への架け橋であったのだ。今日は、そんな架け橋的な曲の中から、私が最高の10曲だと思うものを聴いていほしい。

1981

ESG 「MOODY」

Discogsではファンク、ポスト・パンク、ノーウェーブとカテゴライズされているESGの「Moody」は、今も色褪せないハウスの前身的トラックで、ラリー・レヴァンによってプレイされたパラダイス・ガラージや、シカゴのウェアハウスなどで人気を博した。洗練され、研ぎ澄まされた「Moody」は、ディスコにパンクの魂を注入し、賃料が底値を記録するなど、どん底にあったニューヨークに必要な活力を与えた。「Moody」は、クラブ音楽についていえば、「小(音数の少なさ)は大を兼ねる」ということを後のプロデューサー達に教えた一曲だ。

1981

IMAGINATION 「BURNIN’ UP」

ハウス・ミュージックには、グッとくるピアノ・リフが良く似合う(「Move Your Body」、「Get Get Down」など例は挙げきれない)。しかし、その発想はそもそもどこからやってきたのか? その答えは、Imaginationのヒット曲「Burnin’ Up」である。同イギリス・バンドのデビュー・アルバム『Body Talk』に収録された同曲は、ハウスが誕生する前からハウスであり、ループを中心としたダンスフロア仕様のグルーヴ感は、まさに時代の先を行っていた。

1982

KLEIN & MBO 「DIRTY TALK」

イタロ・ディスコはそのチャラさから酷評されがちだが、ハウスへの影響は決して否定することができない。ディスコが米国のアングラ・シーンに逆輸入されるようになると、DJもクラバーも、他国の作品に耳を傾ける機会が増えて行った。イタロは重要であったが、少しメロドロマ的なやりすぎ感もあった。しかし、1982年、イタリア人とアメリカ人のデュオ、Mario BoncaldoとTony Carrascoが1枚のイタロ・ヒットを飛ばし、全てを変えた。KLEIN & MBOの「DIRTY TALK」は、聴くものを宇宙空間へと誘うミニマルかつムーディな衝撃作だ。イタリアでハウスをブレイクさせたことで知られるCarrascoだが、もしかすると世界でブレイクさせた張本人かもしれないのだ。

1982

ELECTRA FEATURING TARA BUTLER 「FEELS GOOD (CARROTS & BEETS)」

この美しい一曲は外せなかった。こちらは、フランキー・ナックルズとジェイミー・プリンシプルの「Your Love」(最初のハウス曲と言われることもある名曲)に多大な影響を与えたイタロの一作だ。4分あたりのベースラインを良く聴くと、前述の、世界で最も広く知られたダンス・ミュージックの中で、これが丸まま活用されていることに気づくだろう。これは、イタリア人プロデューサー達がいかに先進的なシンセサイザーの使い方をしていたかの証拠でもある。出来の方も申し分なしで、今でも簡単にダンスフロアに火をつけることができるだろう。

1982

PEECH BOYS 「DON’T MAKE ME WAIT (DUB MIX)」

パラダイス・ガラージ専属ボーイバンドのキーボード担当、マイケル・デ・ベネディクトスによると、「Don’t Make Me Wait」は、世界で初めてドラムマシンによるハンドクラップを使用したレコードだという。その大風呂敷の正誤は確認できないが、Peech Boysの楽曲が本リストに登場した理由は、これだ。ちょうどリンドラムが登場したのと同時期の1981年に、ラリー・レヴァンによって結成された同バンドは、ファースト・リリース「Don’t Make Me Wait」によって早速West End Recordsとの契約を獲得した。オリジナルも良い曲だが、ハウスの起源が潜んでいるのは、ストイックな4つ打ちにディレイの効いたパッドが畳み掛ける5分半のこのダブ・バージョンだ。音の作りが時代の先を行っており、完全に主題となったキックドラムの音圧は、現代のサウンド・システムで聴いても古さを感じさせないだろう。

1983

A NUMBER OF NAMES 「SHAREVARI」

畳み掛けるようなドラムスとブリープ調のベースライン、機械的に繰り返されるヴォーカルと、僅かなシンセ・リフだけで構成された一曲だ。といってもベン・クロックの再来ではなくて、カナダ人トリオのA Number Of Namesだ。たった一1枚のレコードしかリリースしていない同トリオだが、フランス(?)訛りの英語でタバコやカセットについて語る『Skitso/Sharevari』に収録されたこの一曲で、ダンスミュージックの歴史にその名を刻むこととなった。

1983

NEW ORDER 「BLUE MONDAY」

うむ。確かに、これは超有名で、1万回くらい聴いたこともあるかもしれないが、(1)まだまだ名曲だし、(2)確実にこのリストに掲載されるべき一曲だろう。ベースラインとドラムスを聴けば、このトラックの心臓、その鼓動がディスコであることは間違いない。そして、楽曲を流れる血潮は、ポストパンクな怒りと、リード・シンガーを失った不幸から立ち直りつつあるメンバーの気持ちだ。俯瞰してみると、極めて未来的であり、今後やってくるサウンドを予見している。偉大なハウス・チューンのいずれもがそうであるように、「Blue Monday」には、その時代に囚われた感覚が欠落しているのだ。まさに不朽の名作である。

1983

QUANDO QUANGO 「LOVE TEMPO (MIX)」

亜流ディスコからヒット・チューンをもう一つ。Quando Quangoは、アーサー・ラッセルやトーキング・ヘッズなど、ニューヨークの芸術学校系のアーティスト達からインスピレーションを受けている。後の”Hacienda”プロデューサー、マイク・ピカリングによってプロデュースされた「Love Tempo(Mix)」は、生演奏のパーカッションと808、そして跳ねるようなベースラインとの完璧な融合で、聴くものをダンスに駆り立てる。

1983

KASHIF 「I JUST GOTTA HAVE YOU」

メジャー・レーベルや豪華絢爛さを追求する流れがディスコから離れるに従い、ポスト・ディスコの方向性は、低予算でシンプルな構成の音作りにシフトして行った。このようにして誕生したのが、ディスコとR&Bの中間に位置するブギーだ。Mtume、D-Train、Sharon Reddなどがファンキーかつ後のメインストリーム・ダンス・ポップスにつながるようなサウンドを生み出していた1982年は、ブギー・サウンドにとっての黄金期であった。ブギーはウェスト・コースト・ヒップホップの文脈で語られることが多いが、この曲を聴けば、いかに黎明期のハウス・プロデューサー達にとって重要なサウンドであったかも感じられるだろう。

1984

WISH FEAT FONDA RAE 「TUCH ME」

ゴージャスなパッドで始まる冒頭の1拍目から、この曲が時代に先行していたものだというのがお分りいただけるだろう。本リストで唯一、厳密な4つ打ちではない一曲だ。しかし、ポスト・ディスコ・シーンがシンセ・ポップに移行していく中で、ダンスミュージックの進化にとって重要な一曲であったことは間違いない。ディスコとファンクのスーパー・プロデューサー、パトリック・アダムスが手がけた同作は、エレクトロの未来を照らす内容であると同時に、フォンダ・レイのヴォーカルを映えさせるのに十分な懐の深さを持つ。冒頭のパッドから、トロピカルでハウス的なマリンバ、ドラムマシン、そしてヴォーカル・サンプルに至るまで、この曲が30年前に作られたものだと思わせる要素は少ない。

 

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