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FEATURES

INTERVIEW:HONEY DIJON(1)「ドチャクソにドープなら、クラシックだろうがどっかのガキのベッドルームでできた曲だろうが同じよ」

世界一ヤバいDJのひとり

Mixmag Japan | 13 December 2017

インスピレーションを掻き立て、キラキラとしていて、ダンスミュージック・カルチャーの生徒であり、教師であり、「世界一ヤバイDJの一人」、ハニー・ディジョンがこの世界を明るくする。

◆ ◆ ◆

ロン・ハーディやフランキー・ナックルズの
黎明期を目撃したハニー・ディジョン

 「パリ症候群」と呼ばれる精神疾患がある。初めてフランスの首都を訪れた旅人が、現実の街と、ポピュラーカルチャーで見知ってきた美化されたイメージとのギャップにショックを受け、体調に異変をきたし、幻覚などの症状も出るというものだ。幸いなことに、かつて歓楽街だったロケーションに建つ、壁面に淫靡な絵が描かれた色鮮やかなHôtel Amourでの、ハニー・ディジョンの出会いは、我々の期待を裏切らない素敵なものだった。彼女は、パリジェンヌの夢の生きた証のような存在だ。頭がキレ、ウィットに富み、自信に満ち溢れ、極めてシックながら、おろしたての黒いシルクシャツ、エレガントなゴールドのチェーンと色褪せたジーンズにリーボック・クラシックを履いたカジュアルな出で立ちだ。

 生まれも育ちもシカゴで、後にニューヨークに移住、今は、マンハッタンとベルリンを行き来する生活のハニー・ディジョンは、シカゴでハウスカルチャーが誕生した瞬間や、ニューヨークで細分化した時期など、ダンスミュージックの進化において重要な、数々の瞬間に立ち会っている。両親は熱心な音楽ファンで、彼女の最も幼い時代の記憶は、両親のパーティでレコードをかけたり、寝かしつけられた後に大人が「爆笑したり、グラスを割ったり、汚い言葉で会話している」のを羨ましく聞いていたことだという。

「『あ、これが私の世界だ』とすぐに思ったわ」。彼女は12歳のときに初めて偽造IDを入手し、10代を通してRialto Tap、Club Laray、The Muzic Boxなどの歓楽的スポットで遊んでいたので、オリジネーターであるロン・ハーディやフランキー・ナックルズの黎明期を目撃することができた。

 「不思議の国に行くような気分だったわ」と彼女は回想する。「今日のクラブとは、ひと味違った。今、ベルリンで一番汚いクラブも、当時に比べればラグジュアリーよ」。彼女の両親は、学校の成績が落ちないなら、という条件付きで認めてくれた。そして、彼女は成績を維持した。

「彼女の最も尊敬すべき点は、
幅広いスタイルに対する知識とリスペクト」(Dテナグリア)

 90年代の後半にニューヨークに移住し、ハニーは流行のカルチャーシーンに飛び込んだ。「週に7回は繰り出したわ。アパートは寝てシャワーを浴びて、ご飯を食べるだけの場所だった」。彼女の繰り出す先は、Jackie 60でのパフォーマンス・ポエム上演やドラァグクイーンのショー、ミートパッキング地区のThe Mudd ClubやTwilo、Shelter、Sound Factoryなどのアングラ・スポットまで多岐に渡り、出演陣も地元で人気のダニー・クリヴィットやデヴィッド・モラレスから、国際的重鎮のカール・コックス、サトシ・トミイエ、サシャなどさまざまだった。「信じられる? てか、当時のニューヨークでは、それが毎週のように繰り返されたのよ!」

 Twiloのレジデント、ダニー・テナグリアの影響が特に大きかった。Perlon、International Gigolo、Maurizioなどのヨーロッパのレーベルや、ニューヨークのNervous、Nu Groove、Tribal AmericaやStrictly Rhythmなどの音源に彼女を出会わせたのも彼だ。こうやって幅広いサウンドに触れた経験が、彼女がキャリアを通して持ち続けている、バラエティに富んだ嗜好性をインスパイアした。

「ニューヨークのものだろうと、シカゴのものだろうと、フランス、ドイツ、イギリス、あるいはイタリアのものであっても、彼女は常に最先端を知っていた」と語るのは、今はよき友人で、ファンの一人でもあるダニー・テナグリア。「彼女の最も尊敬すべき点は、彼女の幅広いスタイルに対する知識とリスペクトだよ」。

このことは、彼女の音楽的アウトプットを通しても明らかだ。Classicから発売中のデビューアルバム『The Best of Both Worlds』で、彼女は、ダークなテクノの調理人Matrixxmanから、知的な言葉遊びを使いこなすクィアーなラッパーCakes Da Killaまで、実に多岐にわたるコラボレーションを実現している。それぞれのゲストが、アルバムに、新鮮な味わいとサウンドをもたらしてくれている。

 彼女のDJセットも同様に、彼女がこれまで身を捧げてきたダンスカルチャーの奥深さを象徴するかのように、幅広いサウンドを駆使する。彼女がフェスでプレイするときは、ダンスフロアーがすし詰めになるだけでなく、垂涎のレコードバッグから出てくる音源をブレンドする彼女の技巧を一目見ようと、他のDJも詰め寄せるほどだ。

「ハニーのプレイは10代の頃から見てきてるけど、彼女のプレイを見て驚いていないクラウドは、まだ見たことがないよ」と語るのは、セス・トロクスラー。「ダンスミュージックはシカゴの、黒人のゲイカルチャーが発祥で、彼女は黒人のトランスジェンダー女性だ。彼女だからこそ分かる深みってものもあるんだ」。 彼女は80年代から着実に音楽の知識を身につけ、今や、世界で最も尊敬されブッキングを希望されるDJの一人となった。

INTERVIEW(2)

Words:Patrick Hinton
Photography:Ricardo Gomes
Hair & Make Up :Jordan King

 

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