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Africa is Not A Jungle:Black Coffeeが先導する音楽界の革命

全てを手に入れ自らの運命を決める為に、業界を解体する革命的な決断をする

Mixmag Japan | 23 March 2021

(本稿は、2019年にMixmag UKで公開された記事を追記・翻訳したものである)

DJ、プロデューサー、そして南アフリカのクラブで活躍する未来のスター達の可能性を発信するムーブメントの先導者であるBlack Coffeeにとって、Africa is Not A Jungleは南アフリカのフェスで紹介した単なるクラブ・ブランドに止まらず、世界に広まることを願っている。それは生きる為のモットーであり、多くのクリエイティブな才能を秘めた彼の母国についての固定観念や無知に対するリマインダーだ。

「Africa is Not A Jungleはアフリカ人プロデューサーとDJの為のプラットフォームで、アフリカ大陸にとどまらない活躍を願っているよ」と、Black Coffee(本名Nkosinathi Maphumulo、ニックネームはNathi)は語る。Mixmagとのインタビューは、まさに同氏が達成したスターダムの凄さを表したようなシチュエーションだった。現在バルセロナに居住しつつ、夏の間はイビザ島に滞在しHï Ibizaの専属DJとして毎週土曜の夜に活躍している。今回のインタビューは、彼の同胞であるThembaと共に出演するイタリアでのライブの為に、写真撮影から空港への移動時間に行われた。

「このプラットフォームをフェスに送り込むんだ」と、続ける。「それはつまり、自分たち自身のステージを持ち、特定のサウンドを開拓するっていうことなんだけど、世界規模でダンスシーンにアピールしたいんだよね」。彼は、南アフリカで活動する多くのクリエイター達の認知度が低いことについて呼び掛けたいのだろうか? 「その通りだ。僕がプレイする音楽の80から90パーセントは、そういったアーティストの作品なんだけど、ほとんどの曲が手に入らない。(南アフリカには)曲をリリースするレーベルの仕組みが無いんだ。ダンスミュージックをヨーロッパだけじゃなく、南アフリカでも紹介したい。まだこの国では、僕らがやっているような音楽はアンダーグラウンドだからね。このプラットフォームでは、まず母国に彼らを紹介し、しっかりとした根を張りたいんだ」。

その間、Hï Ibizaでの彼のイベントにはThe Black Madonna、Damian Lazarus、Kölschといったビッグ・ネームや、南アフリカの期待の星であるCuloe de Song、Themba、Lemon & HerbDa Capoも登場し、Black Coffeeが抱く希望に貢献していた。これらのアーティスト達はこの記事にもフィーチャーされており、彼らのスキルとヴィジョンは南アフリカの音楽シーンが未開拓の可能性を秘めている証だ。このレベルまで達している女性アーティストが多くないのは事実だが、DJ Zinhleは確立されたDJのうちのひとりであり、またThandi Draaiも要注目の若きプロデューサーだ。

この計画は、これらのアーティストを大手レーベルに紹介し、派手な契約を得ることが目的ではない。逆に、Black Coffeeはこの考えについて否定的だ。「そういうことには全く興味がない」と、彼ははっきり言う。「それは長年僕らが頼ってきた方法だ。今までアフリカでは、ヨーロッパが来て助けてくれる、いろいろやってもらえると、頼りきりだったんだ。Spotifyが来るって時は大騒動だったけど、アフリカ人も自分たちのSpotifyを持つべき時が来たのさ。自分たちの市場だから、僕らが一番分かってるんだよ」。

「僕ら自身のレーベルを作る時なんだ。僕らが作っている音楽なんだから」と、彼は言う。「自分たちのアートギャラリーや美術館を作る時さ。だってアートは僕らのもので、素晴らしい作品が作れるんだから。僕にとって、それは自立、そして声を持つということ、さらにどうしたら我々の才能を意味ある形でサポートできるか疑問を投げかけることなんだ。また、それは自分たちで全てを所有し、自身の運命を決める為に業界を解体する革命的な決断をすることでもある」。

Black Coffeeのストーリーは今ではよく知られている。彼はダーバンのタウンシップ、ウムラジでの質素な生活から、南アフリカ(ひいては世界)有数のトップDJ兼プロデューサーとして名声を手に入れたのだ。彼の同胞であり友人でもあるThembaは彼のサクセスストーリーに驚嘆し、Black Coffeeが現れる前は南アフリカの小さな街出身の若いミュージシャンがDavid Guetta級のアーティストと共演するなんて、無謀な野心どころかほぼ不可能であった、と私達に話してくれた。

同国のあるプロモーターは、ヨーロッパの観客には想像もつかないようなアフリカの街の困窮ぶりを指摘する。それゆえに彼は、貧困に直面しながらもキャリアを切り開いたアーティスト達には絶大な尊敬の念を抱いていた。Black Coffeeの経験によると、自給自足が鍵のようだ。

「『スタジオが無い、DJ機材がない』と言い続けていたら、道は開けなかったよ」と彼は言う。「若い連中にいつも言うんだ、機材を持っていなくてもいいんだと。出来ることをやれ、機材を持っている友達を探せ、練習させてくれるクラブを探せ、タダでもイベントでプレイしろって。何かを起こすんだ」。

すべての音楽をジャンルに分ける事に慣れているヨーロッパのリスナーによると、南アフリカのエレクトロニック・ミュージックは以下に区分される。クワイトのエレクトロニック・ラップ・グルーヴ、ゴムのルース・グルーヴ、ゆっくりめガレージ・スタイルのミッドテンポ、そして最近現れたプレトリア発祥のソウルフルなアマピアノだ。けれども実際は、DJ達は広い意味の「ハウス・ミュージック」(ヨーロッパではアフロハウスと呼ばれる)として、様々なジャンルの音楽をミックスしている。それは、南アフリカの黒人と白人がダンスフロアで出会うのと同じようで、あるプロモーターはそれを「ダンスフロアは肌の色を見ない」と表現する。

南アフリカの観客はワイルドなことで知られているが、街の中心部にあるお決まりのクラブのような場所は珍しい。その代わり、ストリートやスタイリッシュなDJバー、ケープタウンやヨハネスブルクで行われる大規模フェスUltraなど、様々な場所でパーティが行われる。南アフリカの最大都市にして音楽の中心地でもあるヨハネスブルクにも、数百人キャパのAnd ClubとTruthしか無い。

この年の夏はBlack Coffeeにとって良いものだった。Hï Ibizaでのレジデンシーは3年目に入り、心にも余裕が出てきた頃、彼とThembaはDeep In The Cityというブランド制作に取り掛かっていた。さらに、Black Coffeeはオーダーメイドのミキサーの開発を計画していた。しかし、これらのほとんどはBlack Coffeeの自己PRではなく、後続アーティストへ良い影響を与えるためだ。

「そうだといいけど」と、彼はため息をつく。「今までの活動の結果、僕は影響力の大きい場所に行き着いたんだけど、簡単なことじゃない。DJになるには練習して腕を上げるだけだけど、影響力の大きさは練習できないから。いつ始めていつ終えるのか? 音楽を通してこの国の若者を大きくコントロールできる、それは大変なことだ。影響力を学ぶ学校は無いのだから」。それでもBlack Coffeeは正しい例を見せる事によって、南アフリカのアーティスト達を、同様の自立力、楽観性、そして創造性ある旅路へ導いているのだ。「Africa is Not A Jungle」というプロジェクト名が示すように、アフリカはジャングルではないのかもしれないし、エレクトロニック・ミュージックにおいては生育と開花をし続けている。

「彼は僕のファンだったんだ!」と、Samurai Yasusaは悪戯っぽく笑う。2015年に故郷であるダーバンのイベントでの、パートナー/プロデューサーであるKunzima Theologyとの出会いについて思い出していた。「それ以前は、僕には彼より大きなブランドがあったけど、彼は本当に良いDJで音楽の流し方やプレイしていた曲が僕の気に入った。だから、彼が僕のファンだったなんて不思議だったよ。彼の未来的なプレイを聴いて、僕達はお互いに補い合える気がしたんだ」。

Kunzima Theologyは、タイミングよくその場所に居合わせたことになる。そして、経験豊富なSamuraiにコラボの提案を切り出す。「Kunzima Theologyが彼のプロジェクトをいくつか送ってくれたんだ、素晴らしかったよ。どちらか片方というわけじゃなく、本当に共同でプロジェクトを作り上げたんだ。2016年にKususaを結成してから、ずっと一緒に音楽を作っているよ」。

Kususaという名前は、それぞれのステージネーム(Samuraiは Mncedi Tshicila、KunzimaはJoshua Sokweba)と、現地語で「やりなおす」の意味のフュージョンなのだ、とSamuraiは言う。2人の初めての共同リリースは、DeMajorの「Traveller」をQueTornikと2017年に制作したリミックスだ。「このトラックは、これからの僕らの方向性を端的に示していた気がする。全ての正しい要素が詰まっていた」と、Samuraiは続けた。

Kususaのトラックの要素とは何だろうか? 「ハードなアクセントと、アフリカン・リズムかな」と、彼は言う。「僕らはそれぞれのトラックをピックアップして、ただ進めていくんだ。それぞれのシチュエーションに個々のエナジーがあって、それが僕らのサウンドを特別にしてくれている気がする。メロウな曲もあればハードな曲もあるけど、聴いたらKususaだって分かるよ」。

Samuraiの音楽観は、南アフリカを拠点とするレーベルSoul CandiHouse Afrikaのコンピレーションによって開かれ、さらにダーバン生まれのゴム(Samuraiによると、壊れたビートみたいだけどシンセとクールなベース音が効いている)のサウンドにより洗練される。しかし、このデュオのルーツはさらに奥深い。「クワズール・ナタール州で発祥したマスカンダというジャンルがある」と、彼は説明する。「僕らはそういった音楽や、ケニアのパターンなんかからインスピレーションを得て、シンセと組み合わせて独自のサウンドにするんだ。僕らは全然違う2人で、バックグラウンドもまるで違う、僕らのサウンドにはまだまだ探求しきれない部分があるよ」。

Thembaは「どこの国に行っても、新しい場所ではニューカマーになれるんだ」と、笑う。同氏はイタリアで、国内初公演に向けて晴れた午後を過ごしていた。南アフリカで20年間輝かしいキャリアを積んできた彼は、ヨーロッパのクラブ業界で「ニューカマー」と呼ばれることに対して哲学的な姿勢を見せる。

2018年、Hot Since 82が主宰するKnee Deep In SoundとワシントンのYoshitoshiからリリースし、Black Coffeeに次ぐ南アフリカの期待の星として絶賛されたが、これはThembaの名を使ったリブランディングによるものかもしれない。世紀の変わり目に大学に通いながらヨハネスブルクの最大規模のクラブでDJをしていた彼は、Euphonikとしてラジオでのミックスや、先述のSoul CandiでコンピのトラックをまとめていたA&Rとして知られていた。

「自分を変えたわけではなく、特定のオーディエンスにフォーカスしてそこに向かって進んでいった」と、Thembaは言う。彼は、両親のソウルとジャズのコレクション、デイヴィトンの街で従兄弟が開催していたストリート・パーティでのヒップホップやクワイト(11歳のThembaはリビングの窓から見ることしか許されなかった)、そして彼の両親が必死の思いで入れた白人学校のクラスメイト達が聞いていたテクノとエレクトロに影響を受けている。

「南アフリカでは何をプレイしても構わない、DJのフォーマットがオープンなんだ」と、彼は続ける。「他の国では、皆どのボックスに収まるのか知りたがる。でも僕らの国では関係ないのさ。母国では歌とダンスが重要なんだ。特にアパルトヘイトの歴史があるからね。南アフリカの若者は、国で起こった悪い出来事に対して音楽を使って対抗する。だから皆よく踊るよ。音楽は僕の人生の一部であり、南アフリカの一部でもあるんだ」。

アメリカでの3日間のツアーから戻ったばかりで、夏は仕事のためイビザ島に居住しているThembaが、現在偉大なるナイジェリア人アフリカ未来主義者のFela Kutiのリミックスを作っているのは納得だ。ここで紹介している素晴らしいDJとプロデューサー達の中でも、彼はBlack Coffeeの抱く未来の音楽的勢力としての南アフリカのヴィジョンに一番近いものを持っている。「今はただ音楽シーンの間を移動して、正しい方法で物事が出来るようにやっているだけさ」と、彼は言う。「僕らの故郷を知っているなら分かると思うけど、僕やBlack Coffeeのような人たちに、間違いを犯す余地は無いんだ」。

「故郷にいるどれだけの人に希望を与えないといけないか考えると、全ての動きが重要になる。僕達は、希望が一番の必需品である国から来ているから、誰かが僕らの活動を見て、自分たちにも出来ると思えるんだ。それと同時に、どうやって“100%の自分”として機能するのか? 自分が誰なのか、何と共鳴するのか、どこから来たのかを発見し、世界に発信する。それを理解できた瞬間、世界が開けたよ」。

1980年代、Jullian Gomesの両親はポルトガルのマデイラ諸島から南アフリカのプレトリアに移住し、週末にDJがプレイするバー兼レストランを経営していた。1990年代にアパルトヘイトの消滅に伴い多くの白人はそのエリアを去ったが、Gomes一家は留まり、同氏が目の当たりにした人種や社会的障壁が消え去っていく様子はその後の彼の音楽人生に影響を及ぼした。

「両親が毎日放課後僕を迎えに来て、僕はバーのバックルームで宿題をしていたよ」と、Gomesは回想する。彼の音楽に関する一番古い記憶は年上の従兄弟が集めていたFrankie KnucklesやMasters At Workを含む膨大なレコード・コレクションの匂いだ。「両親が経営していたバーにはDJがいて、大抵Larry Heard、Black Box、Ten City、Inner Cityを流していたね。クールだって思った。僕は毎日自分のランチを売って、Innervisionsの作品や、初期のÂmeのレコードを買ったもんだ」。

Gomesは両親のバーでDJする方法を学び、13歳でデビューを果たす。「準備をしっかりして初ステージでプレイしたよ。そしてそこから評価を築いていったんだ。街は変化を遂げていて、黒人の客の方が多かったね。そこで白人としてソウルやハウスについて多く学んだよ。素晴らしいキャリアの始まり方だった。午前2時に父が家に送ってくれて、それから寝て学校に行く。なかなかのスタートだろ」。2007年、Gomesは従兄弟のMichaelと結託してプロダクションG.Familyを開始する。このプロダクションは5年続き、フランス人プロデューサーFranck RodgerのレーベルReal Toneからの国際的なリリースや、Black CoffeeもリリースしたドイツのFoliageから音源を発表する。2012年にプロジェクトは終了したが、それまでにGomesは2010年にロンドンで行われたRed Bull Music Academyに参加し、国際的シーンに目を向け、またシーン側も彼に注目し始めていた。

同氏はアメリカのハウスと南アフリカのミッドテンポ(UKガラージに匹敵する)をオマージュした2016年のデビュー作『Late Dreamer』を含むアルバム3作を、Martin ‘Atjazz’ Ivesonのレーベルからリリースする。「南アフリカの音楽シーンは最高だよ、本当に特別で他と違うんだ」と、現在ヨハネスブルクを拠点にするGomesは語る。「アフリカのエレクトロニック・ミュージックについてたくさんのステレオタイプがあるけど、ここでは色んなことが起こっているんだ」。

「確かにここは発展途上国で問題があるのは間違いないけど、音楽シーンや南アフリカの人たちの音楽に対する反応を感じることは、とてもスピリチュアルだ。ハウスミュージックに対する愛は他のどこにも負けない。これは経験しないとわからないよ」。

Da CapoことNicodimus Mogashoaが他の大陸に生まれていたら、おそらくハウス・ミュージックのアーティストになることはなかっただろう。「ハウスの前はヒップホップに影響されていた」と、彼は思い返す。「ヒップホップを聴きながら育ったね。当時世界で最もビッグな音楽のひとつだったから。アメリカ西海岸のヒップホップの全盛期だよ、Dr Dre、Eminem…特にDr Dreはお気に入りのプロデューサーだったな」。

南アフリカ北部の小さなタウンシップで育ったDa Capoの野望はラップ・プロデューサーになることだったが、全てが一変する。「学校の友人がハウス・ミュージックを教えてくれたんだ」と、彼は言う。「友達が毎日新しい曲について話していて、僕はその会話に興味津々だった。ヒップホップには独自のグルーヴがあるけど、それはアメリカのものだって気付いた。でも南アフリカでは、独自のハウス・ミュージックが作られていた。それに気付いた時恋に落ちたようだったよ。ハウスは人々を繋いで団結するもので、それは多くの意味でヒップホップとは逆なんだと分かった。地域では特に何も起こってなくて出かけることもなかったけど、テクノロジーに興味が湧いて何かをクリエイトしようって乗り出したのさ」。

Da Capoはベッドルームで創り出したトラックで、インターネット時代の幕開けと共にプロデューサーとして名が知られるようになった。「プロデューサーのNick Holderにオンライン上で接近したら、僕のサウンドを気に入ってくれた」と、彼は言う。トロントを拠点にしていたHolderは、2012年に自身のレーベルDNHから初期の楽曲をリリースした。「僕は南アフリカで有名になる前にグローバルなシーンで名が知られたんだ。それは強みになったよ」。

Da CapoもまたBlack Coffeeのレーベルと活動し、2018年のトラック「Afrika」はLouie Vegaによってリミックスされ再リリースされた。「Black Coffeeは多くの人の人生を変え、たくさんの人をインスパイアして来た」と、彼は言う。「今の僕の活動は彼に大きく影響されてる。僕がKato Changeのためにリミックスした「Abiro」という曲があるんだけど、とても伝統的なケニアの歌詞で国外の人には理解しがたいものだ。それでも、メロディックだから皆一緒に歌ってしまう。Black CoffeeがそれをTomorrowlandでプレイしたんだ、その反応は本当に感動的だったよ」。

Don JobeとSkhumbuzo Radebeは、Lemon & Herbというグループ名の通り、(実は小学校から)レモンとハーブのように常に協力的に活動して来た。「その頃の美術や音楽の授業から、好きなものやクリエイティビティが似てたんだ」と、Jobeは語る。「そして大学時代、僕らはハウスにハマる。2006年にプロダクション・ソフトウェアをいじり始めて、それ以来ずっと続けているのさ」。

「Jobeは教会でキーボードを弾いていた、それが彼の音楽のバックグラウンド」。Radebeはそう説明する。「2人とも正式なトレーニングを受けたわけじゃないけど、耳で学んだ。僕らはただ好奇心が強い人間なんだよ。高校生のころはタレントショーに出てラップを披露したり、ピアノを弾いたり、ポップソングのリミックスをしたり、歌ったりしたな。僕の父はヒップホップやMarvin Gayeをコレクションしていて、教会で演奏していた祖父は、プレゼントに僕の最初のキーボードを買ってくれた」。

このデュオ(約1年前までThamsanqa Ntintiliを含むトリオだった)は、大学で工学を学び、2000年代半ばのミックステープ・ブーム、特にクワイトの再燃に影響されている。「若かった自分にとって一番理にかなって、関連性が感じられるジャンルだった」とJobeは言う。「僕らはラップの部分を聴いていたけど、ビートがメインだったね。ジャズやR&Bに比べると、クワイトはもっとエレクトロニックなサウンドでさ。この音楽で僕たちは育ったんだ」。

Lemon & Herbは2010年に初めて音楽をリリースし、2010年にAtjazzとRobert Owensの「Love Someone」のアップリフティングなミックスなど、幅広い表現を魅せてきた。2人が考える鍵となるトラックは、2015年のアルバム『Tomorrow In Detail』に収録されている「Velani」と、Black CoffeeがTomorrowlandでプレイした昨年リリースのムーディなアフロテック「Ivory」だ。それは、南アフリカ・エレクトロニックの新しいサウンドを追求する実験であった。

「それぞれの国の音楽の体験のし方を考えたときに、アフリカではスイングしていると思うんだ」と、Radebeは言う。「ヨーロッパのハウスのように率直で積極的じゃない。もっとゆったりして前後に揺れるような…、表現するのは難しいな!」

Jobeは、サウンド以上に姿勢なのだ、と言う。「Black Coffeeが南アフリカでレコメンドしているアーティスト達のバイブスが好きなんだよ。みんなポジティブなエナジーに溢れているんだ。自分たちを表現して、この音楽を世界に広めていくのが全てさ」。

アップカミングなアーティストのひとりで、今の世代の南アフリカのプロデューサー達が国際的音楽シーンへの参入を準備しており、さらにBlack Coffeeと全く同じ道を辿ろうとしている若者がいる。 彼の名はArgento Dust(本名はMinenhle Ndlazi)、国際的スターダムに上り詰めたBlack Coffeeと同じダーバン近郊ウムラジの街出身だ。

「僕はBlack CoffeeやCuloe de Songといった人たちにインスパイアされて来た」と、Ndlaziは言う。「それがハウス・ミュージックを愛し、注目し始めたきっかけだった。僕にとっての始まりは高校生の時(2010年)だった。音楽を初めて10年経ったけど、まだ学習中だよ」。ウムラジ出身で、ダーバンでプロダクションの勉強中だった4人の友達と始めたHouse Junkiesが彼の初プロジェクトだったが、それぞれがソロで活動するために2014年に解散してしまう。

Ndlaziの台頭はすぐに訪れた。2015年、彼がDJ Shimzaと共に制作したラフながらもアフロのエッジが効いたパーティ・トラック「Congo Congo」が、南アフリカのクラブで大ヒットとなり、さらなる注目を集めたのだ。2人はソーシャルメディアを通じて知り合い、このコラボが大成功したことにより2018年に「All Alone」で再びコラボすることになる。 Black CoffeeによるSónarの25周年を記念したミックステープにも「All Alone」は収録されている。

Ndlaziは最近では、グルーヴィーな「Incwadi Encane」で旧友Kususaらともコラボしている。「彼らとは長い付き合いだ」と、Ndlaziは言う。「Kunzimaは近所に住んでいたし、何年もの知り合いだよ。僕たちの音楽はアフリカのサウンドとドラムをテクノと混ぜ合わせたものだから、テイストが似てるんだ」。

Ndlaziは、地元の友人達と作業をする気楽さだけでKususaとつるんでいるのではない。彼らの生まれ故郷に何か理由があるようだ。「ダーバンでのカルチャーなんだと思う」と、彼は話す。「内にあるもの、つまり好きなことをする。だからこそいつも違う何かを思いつくのさ。僕たちの音楽には、他のジャンルとは違う独自のテイストがある。僕らにとって、文化的なんだ」。


WORDS: DAVID POLLOCK
PHOTOS: JOE PLIMMER & HENRY MARSH
EDIT: YUKI KAWASAKI

 

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