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Doc Martin 【インタビュー】 「Lilliaとのレーベル運営はクレイジーで、なおかつ幸せだった」

最愛の人はいなくなってしまったけれど。

Mixmag Japan | 13 January 2020

Doc Martin, Doc Martin DJ, Doc Martin 来日, mixmag

DJの技術と聞くと様々な要素が思い出される。ミックスの技術や選曲センス、エフェクトのテクニック…etc。場合によっては使用するデッキの数も重要かもしれない。いずれの技術も高い水準で備えているのが、西海岸ハウスシーンのレジェンドDoc Martinである。80年代から活動を続け、日本でもMark FarinaやDJ Garthらと共にシーンを牽引した。昨年11月には、東間屋TSUTAYA O-EASTで開催された「MIDNIGHT EAST」に登場。相変わらず抜群のDJスキルを見せた。自身が主宰するレーベル「Sublevel」にも様々なアーティストが参画しており、今日のキャリアも順調である。最愛の妻であり、ビジネスパートナーでありディーヴァのLilliaの死を除いては――。

今回のインタビューは彼女の逝去から数か月後に行われたが、話はそこにまで及んでいる。以下、先日MixmagのLAオフィスで行われたギグの模様。


― あなたは80年代にキャリアをスタートさせましたが、当時のサンフランシスコはどのような雰囲気だったのでしょうか?

Doc Martin: 僕がDJを始めたのは1986年なんだけど、DJになる前から様々なジャンルの音楽を聴いていたんだ。今みたいに、音楽をジャンルレスに聴く文化はその時のサンフランシスコには既にあったと思うよ。明確なルールらしきものもなかったし。でも、それはあくまで西海岸の話だ。ニューヨークやシカゴのレコード屋に行けば、みんなが特定のジャンルに基づいて話し合っていた。僕らは音楽的なジャンルの壁を壊したかったんだよ。だから、今挙げたような都市でレコードを買っては、サンフランシスコに帰ってきて“奇天烈なプレイ”をしていた。面白いのは、西海岸におけるハウスミュージックの真の理解者がヒップホップのクラウドだったこと。ニューウェイヴやゴシックではなくて。それこそが当時のサンフランシスコの素晴らしさだと思う。多様なライフスタイルや人種が混ざり合って、驚くほど刺激的なシーンが出来あがってゆく。当時の僕はそれを間近で見てたんだ。まぁ尤も、その頃はそんな自覚はなかったけれど。

― 今でもあなたは、その頃培った感覚でDJをやっているように見えます。ディープハウスやトライバルなトラックをプレイしたかと思えば、ベースミュージックに触れたりもする。技術的にも相当高度かと思いますが、DJをする上で特に意図されていることはあるのでしょうか?

Doc Martin: 実際簡単ではないね(笑)。技術的にはレゲェが重要な参照元になってるんだ。僕は重いベースとドラムに常に惹かれるんだけど、実は歌詞も大切にしてて。レゲェはその特性上、何か言いたいことがある音楽なんだよね。リスナーに訴えかけるような曲が好きなんだよ。曲の背後に何らかのメッセージ性があって、なおかつそれがDJで上手く表現できた時は、何となく“ハマった”感じがするんだ。

Doc Martin, Doc Martin DJ, Doc Martin 来日, mixmag

毎年春にカリフォルニアで開催される、CRSSD Festivalの様子。昨年はDoc Martinも参加した。

― ジャンルの多様性に加えて、あなたの選曲は非常にタイムレスです。色々な意見があるかと思いますが、最近はテクノロジーの発展によって歴史あるレアグルーヴへのアクセスも容易になりました。その結果、あなたのDJにも何か影響はありますか?

Doc Martin: そうだね。今まで時間がかかっていた作業がずいぶん楽になったと思う。だけど、実はあまり作業にかける時間は変わってないんだよね。時間が短縮できた分、今まで出来なかったことに割り当てられるから。この業界にいる以上、テクノロジーとの付き合いは無限に続くと思うよ。昔の作品を掘ることよりも、僕の場合はアップカミングな若手との付き合い方に大きく作用してるかな。すごくポジティブな意味でね。今も僕のところには山ほど音楽が送られてくるんだけど、僕が中継役を担うことが増えてきたんだ。前までは作品をリリースするのも大変だったから、素晴らしい音源でもお蔵入りになることが間々あった。でも今はアーティストが主体になって色々出来るでしょ? 僕がレーベルと若手の橋渡し役になるだけで、日の目を見る曲があるんだよ。

Compilation by Doc Martin

― 奥さんのLilliaさんについては、心からお悔やみ申し上げます。彼女は日本でも人気がありました。

Doc Martin: ありがとう。僕らが作ってきた音楽はたくさんあるから、いずれは全てリリースしたいと思ってる。

― Sublevelの運営も2人で行っていたと聞きました。その経緯について伺いたいです。

Doc Martin: そうなんだよ。僕らはすべて自分たちの手で運営していた。今振り返ってもクレイジーだと思う。でも、とても幸せな時間だった。何しろ、僕らは2人ともウェブサイトの立ち上げも経験してなければ、レーベル運営のノウハウも持っていなかったからね。ゼロから全部学ばなければいけなかったよ。辛いこともあったんだろうけど、今は良かったことしか思い出せないね。で、どんどん規模が大きくなって、様々なアーティストがレーベルに興味を持ってくれるようになったんだ。日本のForce of NatureやLittle Big Bee、DJ MOCHIZUKIとも仕事をしたよ。レコードを100万枚売るようなレーベルではないけど、まさしくタイムレスな作品を作れていると自負している。彼らのサウンドも含め、僕はこのレーベルから出る音源が大好きさ。もちろん、100万枚売ることが悪いことだとは全く思ってないよ。でも僕たちは、僕たちの音楽を愛し続けたいと思う。これからもね。

― Lilliaさんが亡くなる直前にリリースされたのがシングルの「Souls」でした。本作には彼女のヴォーカルがフィーチャーされてますよね。良い曲だと思います。

Doc Martin: この曲には面白い話があってね。実はこの音源は、とある大きなレーベルのために作ったんだよ。彼らには完パケを渡したんだけど、そこから進展がなかったんだ。待てども待てども連絡がなかったんで、結局自分たちで進める事にしたよ。で、友達のLubelskiを呼んで再録音したのさ。そうしたら内容もぐっと良くなって、昨年のビッグリリースになったよ。

― つい先日も日本でギグがありましたけども、日本で何かスペシャルな経験があれば教えて下さい。

Doc Martin: 初めて日本でプレイしたのが1998年なんだけど、2001年からは毎年来てるんだ。人も雰囲気もフロアのエネルギーも最高だよ。日本から帰るときはいつだって寂しい。ナイトクラブ以外にも素晴らしい場所がたくさんあるしね。名古屋のラーメンや浜町のうなぎは美味しいし、築地も相変わらず楽しい。『キル・ビル』の撮影舞台にもなった居酒屋にも行ったことがあるよ。空港のレストランですら美味しいんだから、日本のフードカルチャーには驚くばかりだね。

― またお会いできるのを楽しみにしています。

Doc Martin: ありがとう!実はまた5月に日本でショウが決まりそうで、その時にまたみんなに会えればと思ってるよ。日本のファンのサポートには心から感謝してる。


Interview_Kimya Khayat
Edit_Yuki Kawasaki

■ Doc Martin
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