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FEATURES

遅れてやって来たMVP、Krystal Klear

「Neutron Dance」前夜と、その後

Mixmag Japan | 17 January 2020

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「2018年のアンセムは?」と聞かれた時、クラバーの大半がKrystal Klearの「Neutron Dance」と答えるかもしれない。毎週末、どこかのクラブで必ずかかっていた。それが全く言い過ぎでないことは、現場に足しげく通うあなたならば容易に理解できるだろう。もちろん、今でも現役バリバリのキラーチューンだ。

本稿のタイトルにある“遅れてやって来た”とは、第一に来日のことを指している。80KIDZが渋谷のContactで主催するパーティ「MISSION」に出演するため、彼は初めてこの国を訪れるわけだが、「Neutron Dance」以降はあまりに多忙であった。

しかし、「Neutron Dance」ヒットまでの道のりは決して平坦ではなかった。何しろこの曲が世に出たのは、彼のデビューから8年目なのである。つまり“遅れてきた”とは、そのままの意味でもあるのだ。この記事では、「Neutron Dance」の前後に迫ろう。

Krystal Klear – 『Neutron Dance』

アイルランドはダブリン生まれのKrystal Klearことデック・レノンの音楽人生は、ティーンエイジャーの頃に端を発する。当時はMetallicaやSlayerを崇拝する、生粋のメタル少年であった。彼の両親(特に父親)もまた熱心な音楽ファンで、彼にPrefab SproutやChicを教えたという。そしてたどり着いた教祖が、ラリー・レヴァンであった。そこからディスコ、エレクトロ、イタロ、ニューウェイブ、ニューヨーク・ハウス、ガレージ、テクノに開眼する。「Neutron Dance」を聴いても分かる通り、今挙げたいずれの要素も含まれているように思う。

「Krystal Klearの音楽にキャッチフレーズをつけるとすれば、“1980年~1994年のバイブス”だろうな。その時代の音楽にこそ、僕は最も影響を受けている。ラリー・レヴァンはその筆頭なんだ。彼の音楽にはすべてが詰まっている」。この言葉通り、彼はDJでもオールドスクールを照らし出す。昨年11月にBBCの名物企画「Essential Mix」で披露したDJが好例で、彼が愛するサウンドを大方突っ込んだ内容になっている。

20歳の頃、グラフィティ・ライターのスティーブン・パワーズ(aka ESPO)の強い勧めにより、レノンは短い期間ではあるがニューヨークへ渡る。文化もインフラも整った大都市、ニューヨーク。ダブリンでは体験できない文化的な衝撃に、彼は大いに食らってしまう。ニューヨークが心のふるさとになるのに、時間はかからなかった。

その後、大学進学のためにマンチェスターに移り住む。ここで重要なのが、ローカルパーティ「Hoya:Hoya(2015年を最後に終了)」との出会いだ。いつの時代もコミュニティはカルチャーにとって重要な役割を果たすが、マンチェスターのナイトライフも例外ではなかった。レノンが22歳の頃(ちょうど今から10年前)、彼はそのHoya:HoyaのレジデントDJに抜擢されるのである。彼の他にも、Illum Sphere、Jonny Dub、Lone、Eclair Fifi、Jon Kらが同パーティのレジデントとしてラインナップされていた。今ならばちょっとしたフェスが開催できそうなメンツである。

この時、彼はプロデューサーとしてもデビューを果たした。2010年にリリースされた「Tried For Your Love」は、なんとBBC Radio 1で13週間連続で再生される。キャリアの初っ端から大正解を叩き出してしまったのだ。

ところが、その輝かしい道のりは長く続かなかった。決して寡作家ではなく、少なくとも2年に1枚のペースでEPをリリースしているのだ。それでも、それ以降の彼は長いトンネルに突入してしまう。後になれば何とでも言えるが、当時の彼は不運としか言いようがない。自身のレーベル「Cold Tonic」も早い段階で持っていたし、何より、発表する曲も良かった。たとえば2012年にロンドンのレーベル「MadTech」からリリースされたEP『More Attention』は、今聞いても素晴らしく感じられる。

Krystal Klear – 「More Attention Feat. Jenna G」

当時を回想し、彼はこう語る。「最初のレコードから『Neutron Dance』までは、間違いなく低迷期だよ。全然音楽が楽しくなかったし、人生がつまらなかった。僕はどこか特定のレーベルに所属していたわけでもなかったし、エージェントもいなかったんだ。そのうえ当時付き合っていた彼女とも別れるし、世の中に見捨てられた感覚があったよ」。

2017年、賃貸契約を結び、今度は本格的にニューヨークへと移住を決めた。そこで彼が新たに付き合う友達は、ベルクハインがどこにあるかも知らなかった。それが彼に良い影響を与え、作家性にも新たな一面を与える。凝り固まった考え方から解き放たれた彼の脳みそは、かつてないほどクリアだった。その感覚を持って、もう一度ダブリンに帰る。そこでついに、運命の出会いを果たすのであった。

ドイツのDJ、Gerd Jansonと彼のレーベル「Running Back」。ダブリンから同レーベルに向けてデモを送りまくっていたレノンは、ついにドイツのトレンドセッターから色よい返事を得る。「彼が『Neutron Dance』を聴いてくれて、すべてが変わったよ」。

Gerd Jansonは音楽ライターから転身してDJになった。つまり、良い音楽をかぎ分ける嗅覚を持っているし、その見せ方も知っている。出会いとは数奇なもので、それまでレノンができなかったことを「Running Back」は解決したのだ。そうして、2018年の春に同レーベルからメガヒットチューンがリリースされた。夏にフェスシーズンが本格化する頃には、上の動画の光景が各所で見られたのである。

彼の拠点は今もニューヨークだ。「アイルランドのクラブカルチャーは難しいよ。土壌がないから経済も回らない。だから多くのDJやプロデューサーが、アムステルダムやベルリンに行ってしまう。僕みたいにアメリカに活路を見出す人間もいるだろうね。腹が立つのは、成功した途端に手のひらを返して“流石アイルランド人だ!我々はずっと応援していたよ!”とか言い出す輩が現れることだよな。全然何もしてくれなかったくせによ」。

このレベルの才能が埋もれかかっていたのを考えるとぞっとするが、彼のような事例は世界中にあるのだろう。彼がどこかひとつでも選択をたがえていれば、今とは違う現実があったかもしれない。ニューヨークで才能を発揮し、Gerd Jansonがそれを見出し、世界がそれを歓迎した。それぞれの出来事が連鎖して、現在がある。そしてKrystal Klearの冒険譚はまだまだ先が長そうだ。彼の現在地は、こんなにも素晴らしいのだから。

(この記事はMixmag UKがWeb上で公開したLABOUR OF LOVE: KRYSTAL KLEAR IS RIDING A WAVE OF WELL EARNED EUPHORIAを改変・加筆したものである)

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Edit_Yuki Kawasaki

■ MISSION feat. Krystal Klear
2020.1.18 (Sat.)
@ 渋谷 Contact
<イベント詳細>
https://www.contacttokyo.com/schedule/mission-feat-krystal-klear/

 

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