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MUSIC

INTERVIEW:BICEP(2)「本当の成功は、努力して、努力し続けることからしか生まれないんじゃないかな」

努力と偉大な音楽に対する剥き出しの情熱……ベルファストの人気デュオ

Mixmag Japan | 7 December 2017

2012年「Vision Of Love」の成功が
彼らの生活を変えた

 ほどなくして、ブログは爆発的に人気を伸ばす。ピーク時には、月間で10万ビューも獲得するようになっていた。世界中からDJのブッキングが舞い込んできた。この頃までにマットはドバイに移住を果たしており、アンディはロンドンにいたため、二人はそれぞれフルタイムの仕事をこなしながら、大陸を超えてブログやDJ出演を共同で進めていた。ブログは、繋がり続けるための手段でもあったが、トレンドの最先端を走り続けるための手段でもあった。気づけば二人は、Skypeでステムや楽曲をやりとりしながら、獲得したトレンドの最先端を自身の楽曲に注ぎ込み始めた。

 同じタイムゾーンで生活できれば、あるいは音楽で生計を立てられるかもしれない。ついに彼らにそう思わしめたのは、2012年のピアノ・ハウス「Vision Of Love」の成功だ。マットはロンドンに移住し、二人は共同でスタジオを設立した。二人は独学でピアノの腕を磨き、他の制作者たちからスタジオ技術を学んだ。もちろん苦労もあった。食べるのに困ることもあった。二人はスーパーでサンドウィッチが割引になるを共に待ったこともある。「長期に渡って一文無しだったこともあるよ」と語るのはアンディ。しかし、貧乏は、それだけ二人を必死にさせたという。「安定した収入を二人同時に手放したんだ。あらゆることに感謝する気持ちが芽生えたよ」とマット。

 驚くべきことに、彼らが90年代ハウスに没頭していったのも、資源の都合が関係していた。「ドラムマシンやシンセを買うお金はなかったから、かなりの制約を受けていたんだ」とマットは語る。「サンプルを切りはりして、それなりのサウンドを作るのは比較的簡単だったよ」。「シンプルなアプローチを選択したんだ」とアンディが続ける。「オルガンをサンプルして、ヴォーカルをサンプルして、ドラムをサンプルして、全体を生っぽく留めたんだ。90年代のアーティストはKorgのM1しか買えないような人が多かった」。「だからみんな始めたんだ」とマットが付け加える。「可能だったからなんだよ」。

 一方で、その後、あまりにも多くのプロデューサーが可能だと気付いてしまったとも言える。次第に、2010年代後半の復刻されたアナログハウス・サウンドはありふれたものになっていった。そこで、Bicepは軌道修正をした。「アルバム2枚分くらいの完成曲をゴミ箱に捨てて、僕らは前進したんだ」とマットは語る。「あまり、決まりきった形のものを期待されるのが好きじゃないんだ」。

 しかし当初の人気が、2013年にアナログの達人シミアン・モバイル・ディスコとコラボして以来の夢だった、ちゃんとしたスタジオを実現してくれたことは間違いない。かくして、将来について真剣に考える時がやってきた。「立ち止まって、僕らの(音楽的)メッセージについて考えた時期なんだ」とマットは語る。「シンセや、機材を購入できるくらいの余裕ができた。そしたら、自分たちが本当にやりたいことが分かって、そこに立ち返ることにしたんだ」。彼らが「立ち返った」のは、無論、EP「Just」のことである。タイトル曲は彼らのディープで想像力を掻き立てる側面を引き出し、ブリップっぽいメロディや、デトロイト調の紫色がかったサウンドをフィーチャーし、『Mixmag』の2015年ベスト・チューンに選ばれた。

 あれから2年、彼らは早くも再びジャンルの変更に着手する。話を“Dekmantel”のメインステージに戻す。“Fantazia”のレイヴで積み上げられたスピーカーから流れきそうな、古い曲を新しく編み直したトラックの数々をプレイするBicepがライブを開演。これが1991年ではなく2017年であるという証拠は、上空に投げ上げられた白い手袋の不在と、代わりステージのバックスクリーンを埋め尽くす巨大なLEDの存在だけである。ブレイクビーツが体を揺さぶる、彼らのセカンドシングル「Glue」は、スタッカートなシンセとアンビエントな空気感がハンパなくパンチの効いたドラムに被さり、アルバムからの一曲「Rain」は、テクノと、「Voodoo Ray」的なヴォーカル・ヒット、そしてメタリックなIDMを多幸感の渦に昇華させる。現代のオーディエンスに向けて復刻されることなど誰も想像しなかったようなサウンドを、Bicepはダイヤモンドのように研ぎ澄まして世に放つ。彼らはトチらなかった。全くトチらなかった。クラウドは膨大な数に登った。デッキの裏では、Omar-Sが飛び跳ねている。演目が終了すると、テクノのビッグネーム、ロバート・フッドが、ヘッドラインの務めを果たしに行く前に、マットをハグ。その後、午前9時の空港のバーに至るまで、Bicepが祝杯をあげ続けたとの報告もある。

 数日が経ち、我々は今、東ロンドンにあるBicepの新しいスタジオに来ている。壁には、ドラムマシンやシンセサイザーが高く積み上げられている。ウーリッツァーのピアノが隅で唸りを上げている。スピーカーの上では、アロマテラピーのキャンドルの炎が揺れている。今日はお揃いの、Vansの靴を履き、ジーンズとTシャツを着たアンディとマットが、最もくつろいで見えるのはここだ。二人は、しばし機材購入の道中で巡り合った奇特な人たちの話を交換する。どうも、機材の一つは80年代のポップスターの友人から購入したようなのだ。「そいつはスタジオにやってきて、『ボーイ・ジョージに君らのCDを聴かせたんだけど、好きじゃないって言ってたよ!』って言ってきたんだ」とマットが語る。

デビューアルバムには、もっとボーイ・ジョージが気にいる曲が収録されるかもしれない。アルバムは、初期のモビーや、オービタル、エイフェックス・ツインの『Ambient: Selected Works』、トランス、そしてより理知的なサウンドの影響が強く、これまでのファンが期待するものからは外れそうだ。「みんなが気に入ってくれるか自信のない曲はいくつかあるよ」と語るのはマット。もちろん、そんなことは気にしない様子だ。「このアルバムは、他の人のために作ったんじゃないからね」と続ける。「僕らが、いつもどおり僕らのやりたいことをやってるだけなんだ」。コンセプトがあるとしたら、それは「自由」について。今回、彼らは「4つ打ちの、ダンスフロア限定のもの」ではないものを作りたかったのだという。例えば、「歩いている時や、電車に乗っているとき、自転車を漕いでいる時。風景を眺めている時に聴くようなもの」とマットは説明する。

彼らのブログを振り返ってみると、この音の福袋ともいうべきリリースが何の不思議もないと感じる。ジャンルではなく、テイストで結ばれる、変遷し続ける彼らの興味の生きたアーカイブのようなものなのだ。2014年には徐々にジャングルが浸透してきて、2016年にはテクノが浸潤を開始する。

クラシックスに影響を受けながら新しいものを作る方法として、彼らはスタジオでは極力実験的な姿勢をとったという。曲が親しみやすすぎるな…と感じた時(「あるいはトランスっぽすぎると感じた時ね!」とアンディが茶々を入れる)、必ず、違う方向に一捻り加えて、心地よいゾーンを脱するようにしたのだそうだ。「にはで、眠くなる、心地よい音楽が溢れている。僕らはもっと活き活きとしたものを作りたいんだ。即席で心地よいものは避けるようにしてるよ」とマットが付け加える。「最初の数ヶ月は、かなり捻りまくった。一時期は、トラップっぽいところまで行ったよ」。

トラップは、ひとまず次回まではお預けのようだ。今のところ、デビューアルバムは彼らのレイヴ傾倒からの前進であり、情熱的な音楽ファンが転じて生計を立てられるようになった世界中の凡人達へのハイファイブである。ところで。キューレーションの存在意義がSpotifyに脅かされ、DJ達がこぞって同じような曲をかける現代。彼らのようなことを実現できる人がこれからも出てくるのだろうか。

「ネットでいろんなDJのプレイリストをゲットして、どっかのバーで真似してDJするのは、人の真似が上手いってことの証明にしかならないよ」と語るマット。「本当の成功は、努力して、努力し続けることからしか生まれないんじゃないかな」。無論、人並みはずれたセンスが必要なことは、言うまでもない。

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Words:ケイト・ハッチンソン Kate Hutchinson
Photography:ダン・メッドハースト Dan Medhurst

 

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