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ニュータイプの激しいダンスミュージックを生み出したTHE PRODIGYのフロントマンKEITH FLINT

Keith Flintが49歳で他界した。しかし、世界中に影響を与えた彼のエネルギーは燃え続ける。

Mixmag Japan | 5 March 2019

The Prodigyの制作的なブレーンはもちろんLiam Howlettだが、多くの人々にとって、同グループの顔といえば、やはりKeith Flintであった。また、音楽制作に本腰を入れるようHowlettを勇気付けたのも、エセックスのレイヴ・セントラルで激しく踊りまくっていた若き日のFlintだった。その後、Howlett、Flint、Leeroy Thornhill、Maxim RealityからなるThe Prodigyは、レイヴ世代を代表するグループに成長した。「ニュースは本当だ」とLiam Howlettは発表した。「こんなこと発表してるなんて信じられないけど、俺たちの兄弟、Keithが、自ら命を絶ったよ。ショックだし、クソムカついてるし、混乱してるし、悲しい」。

Liam Howlettは、インダストリアルやレイヴ、ブレイクビーツ、ハードコア、デトロイト・テクノ、シカゴ・ハウスなどの異なる影響を蒸留して天下無双のグルーヴを生み出す天才だが、グループの存在感を確立したのは、Flintを始めたとするステージ・ダンサーたちのエネルギーによるところが大きい。トップ5に輝いた「Charly」以降引っ張りだこになった同グループは1994年に『Music For The Jilted Generation』でマーキュリー賞にノミネートされ、そのキャリアをさらなる高みに持ち上げた。

1996年のヒット『Firestarter』では初のナンバーワンを獲得。Keithは、もう一つのナンバーワン「Breathe」や「Baby’s Got A Temper」にてヴォーカルを担当。ルーサー・ヴァンドロスよりもジョン・ライドンを彷彿とさせるFlintのヴォーカルは、やや閉鎖的なダンスミュージックの世界からグループを浮上させ、フェスなどの世界への参入を助けた。ケミカル・ブラザーズやオービタルなど同世代のライバル・グループが映像を駆使して聴衆を楽しませていた傍で、The Prodigyの武器はハイテンションに飛び回るFlintだった。Radio 1のアニー・ナイチンゲールが言ったように、同グループとFlintは「ザ・フー以来、見ていてもっともエキサイティング」な存在だった。

Flintの燃えたぎるステージ上の存在感とパンク・ロック的なアティチュードは、1990年代に、エレクトロニック・ミュージックの世界を超えた幅広い層のファンを獲得した。「Firestarter」を生み出したアルバム『The Fat Of The Land』はアメリカでのブレイクスルー作となった。

Flintは、ステージ上の破茶滅茶なイメージとは裏腹に、業界でも珍しいほど温厚で愛嬌のある人柄として知られていた。音楽以外にバイクを趣味としていたFlintは、Traction Controlというレースチームも設立、Ian Hutchinsonがマン島TTレースで3回優勝している。また、根っからのエセックス住民でもあったFlintは、The Leather Bottleというパブを買い取って数年経営もした。

The Prodigyはまだまだレコーディングもツアーも続けているグループであり、昨年11月には『No Tourists』をリリースしたばかりだった。それだけに、Flintの突然の死は、多くの人にとってショッキングな出来事であった。晩年のFlintは、我々にこう語っていた。「好き勝手やるんじゃなかったら、ステージに登る意味なんてある?」

ファイヤー・スターターは旅立った。しかし彼がつけた火は、しばらく燃え続けるだろう。

 

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